ペトリコール

すきなことだけ

アイドルに祈る

最近は時間ができたから家のレコーダーの整理をしている。そんな編集の最中、ふと卒業シーズンの音楽番組から「旅立ちの日に」が流れた。

 

 

2018年3月。新宿。

友人に「推しの大学の卒業式を一緒に見に行って欲しい」と告げられ、初めて地下アイドルの現場に行った。その友人は中学からの同級生で、とにかく好きなものには真っ直ぐな人だった。私はそんな彼女を見ながら、こんな風に好きなものに正直でいられたらいいな、といつも思っていた。そんな憧れの彼女が好きな、青色のアイドル。目がきゅるんとしていて可愛い。そんなことしか知らなかったけれど、きっと彼女が好きな人なら素敵なんだろうなと思った。実際、その日見た景色はとても美しかった。

その日は彼女の推しの、大学の卒業式だった。遠征でのイベントと被って彼が行くことができなかった卒業式をみんなでやろう!というイベント。私は彼のことを何も知らなかったけれど、隣で喜びに満ちた表情で立っていた彼女を見ると、なんだか私も体の奥底がじんわりあたたかくなるような心地がした。

 

開演してからはあっという間に青色のペンライトの海に飲み込まれた。皆が1人に愛を向けている。巨大なエネルギー。ステージに目を向けると、アイドルはきらきらと笑いながら、光を集めて歌っている。何も知らないアイドル。名前もうろ覚え。一人一人がどんな人なのか何も知らない。けれど、眩しくて楽しそうで、私もこんな風に笑いたいななんて思ってしまうほど、格好良かった。

始まった卒業式はメンバーから彼に卒業証書を送るというもので、メンバーひとりひとりが言葉と歌を送った。そこで皆で歌った「旅立ちの日に」と、フロアの啜り泣く声がずっと忘れられないでいる。あたたかく優しい空気の流れる、美しい、忘れられない卒業式だった。

 

 

 

 

それから1年後、彼女の推しは体調不良を理由に、ステージから姿を消した。

 

 

 

 

もし「アイドルに望むものはなんですか」と聞かれたら、きっとあの時の私は「ステージに立ち続けてくれること」と答えていただろう。実際に今もアイドルを好きになる度に、どうかステージに立ち続けていて欲しいなあと思う。それは観客だから、ファンだから当たり前のことで、何もおかしいことはないはずだ。でも、あの時の卒業式と、ひっそりといなくなったアイドルを見て「元気でいてくれたらいいな」と呟いた友人を見てから、アイドルに祈る何よりのことは「この世界にいてくれること」なんだと思った。

 

 


たった一度、あの日目の前で見た彼女のアイドル。今どこで生きているのかわからない彼女のアイドル。事故にあったのかもしれない、アイドルが嫌になったのかもしれない、新たな夢を見つけたのかもしれない、もうあの場にいた人たちに会いたくなくなったのかもしれない。それでも彼女は「元気でいてくれたらそれでいい」と言っていて、それが愛なのだと思った。

 

 

好きなアイドルがステージから降りる。歌もダンスも日常からなくなる。正直、経験してからこんなに寂しいことは無いと思った。死ぬことと同義。それでもずっと「元気でいてくれたらいい」を想っている。ずっと祈っている。彼女が祈った愛と同じ温度で、わたしもにのみやくんに祈っているのだ。

そんなにのみやくんが素敵なドラマを届けてくれた。近況を動画で教えてくれた。映画という楽しみをくれた。そして、カバーアルバムを出してくれた。ああ、こんなに幸せでいていいの。「元気でいてくれたらいい」と願っていたわたしにとびきりの大きな大きなプレゼントをくれるの。貰っていいの。彼のそんな“彼自身の好き”と、“わたしたちのほしいもの”を繋げてくれる優しさと、聡明さと、とびきりのエンターテイナーである姿が大好きで仕方が無いのだと思った。

 

 

幸せでいて欲しいなんて烏滸がましくて押し付けがましいけれど、やっぱり彼の思う形の幸せでいて欲しいのだ。その幸せの中に、ステージの上に立つことがほんのすこしでもあればいいなと願っている。アイドルに対してファンでいられる時間はアイドルがアイドルでいてくれる限り有限だからこそ、私はにのみやくんが走り続ける限りファンでいたいな、ずっと好きでいたいな、と思う。したいことをやる、そんなところを全部好きでいたいと思う。そして我儘にも、こんな日々が続けばいいなとも思っている。

 

 

 

 

この間読んだ本に、亡くなった子供を自分の中に生かし続けている母の話があった。産まれてすぐに亡くなってしまった我が子を、「私の中にいるから大丈夫」と思うのだ。「私の中にいるから大丈夫」。そうして“大切”を心の中で溶かして、悲しみをお守りにして、心の穴を満たす。そして、我が子を失った、今までとは全く異なる“新しい星”を生きる。なんて寂しくて優しくて美しいのだろうと思った。

 

 

 

 

2021年の1月からわたしは新しい星を生きている。現状、ドラマ、YouTube、映画、バラエティ、そしてカバーアルバム。全部全部楽しくてたまらない、私にとっての幸せだ。その事実は変わらない。でもほんの少し、ほんの少しだけ、舞台の上に再生産する日を待ち望んだりもする。欲深い。

けれど。けれど、そんな傲慢な気持ちも霞むくらいに、「元気でいてほしい」と強く強く願っている。今までの眩しさはずっと胸の中にある。再来を望みたくなるくらいに胸の中で眩しく光っている。わたしはその大切を、心の中で溶かして、「私の中にいるから大丈夫」と思い続けたい。わたしの中に、にのみやくんがいるから大丈夫。あの日のステージの上の笑顔も、歌声も、星が飛び散るようなダンスも、全部私の中にあるから大丈夫。汚れた言葉が入る隙間も無いくらいに、美しいものしか存在しないステージの上で、光続ける彼の姿が、私の中にあるから大丈夫。そして、世界は彼のことが好きだよと心の中で唱える。あれだけの光を纏って世界を輝かせた彼のことを、世界はきっと愛しているに違いない。

そしてこれから先も、様々な角度で楽しませてくれる、表に立って笑ってくれる、そんな彼のことを世界はきっと愛していると思う。本当に。いつも。

 

 

なんだか全然書いていてまとまりなんてなくなってしまったけど、いつも祈る気持ちは変わらないのだ。大丈夫。あなたの幸せを望んでいる人がこんなにもいる。ずっとずっと笑っていて欲しい。そして何より、元気でいて欲しい。もう本当に望むのはそれだけで、今日も祈るような気持ちを抱えている。

 

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にのみやくん、39歳のお誕生日おめでとうございます。

この1年も楽しかったなあ。先のことは分からないけれど、またこれからの1年もにのみやくんのことが大好きで、きっと来年40歳のお祝いをここでしているのだろう。

 

 

にのみやくん、ずっと元気でいてくれたらいいな、笑っていてくれたらいいなって祈りながら、わたしはまたこれからの1年も“大切”を心の中で溶かしていくのだ。この、新しい星に立って。