ペトリコール

すきなことだけ

私の神様

神様は、いるんだろうか。体の外でびかびかと太陽のように光る、折れかけた樹木の添え木となるもの。

 

 

この前読んでいた本の中に何気なく出てきた一節。

神様ってなんだろう。そんなことを、ぼんやりと考えていた。

 

話は変わるけれど、私はすごく弱い。弱くて、すぐ潰れてしまう。だから、この間「仕事を辞めます」と上司に伝えた時、足がすごく震えた。伝えるぞって決めた前日の夜は悪夢を見たし、当日の朝は何度も迫り上がってくる吐き気を抑えるのに必死だった。神様に祈った。どうかうまく伝えられますように。どうか、大丈夫になりますように。無事に伝えられたその日、会社を出てひんやりとした空気を吸った瞬間、フッと足が軽くなった。今まで気がつかなかった星空が目に飛び込んできて、ああ神様が祝福してくれたんだ、と思った。

 

 

社会人になってから、にのみやくんの言葉をたくさん武装して、大丈夫を心の中で唱えてきた。退職を伝える日も、同じように唱えた。大丈夫。大したことない。身勝手に、私はにのみやくんを神様にしてしまっていたのだと思う。神様に祈るように、にのみやくんの言葉を心の中で何度も唱えては、勝手に救われた。数え切れないほど、光をもらっていたのだ。

 

 

 

Record of Memoriesが公開されて、挨拶で「僕は幸せ者です」と語ったにのみやくんのことを思った。あの日、その言葉を聞いた瞬間あらゆる糸が切れたかのように涙が溢れて止まらなくなったのを覚えている。私たちファンが一方的な感情を彼に向けようと、「僕は幸せ者」という言葉で返してくれた。神様だなあと思った。私の信じる神様がそこにいる。そう思いながら祈るように泣いてしまったこの日のことを忘れないのだろう。

 

星を手渡されたような光の梯子が差し込んでくるようなアイドルではないかもしれない。でも、大切なひとを想って、愛して、自分の大切なものを守るためにステージに恋して、ステージの上で命を削る。そんなアイドルのことを愛しているし、私にとっては、そんなアイドルが、太陽のように光っている、折れかけた樹木の添え木となるような、神様だと思う。

 

 

神様とはなんだろう。知っているわけでも見たわけでもないのに、にのみやくんを形容するときに「神様」が出てくるのはなんでだろうね。それでも私の神様だって思わずにいられなかったのは、何度も何度も私を救ってくれたからなのだろう。私の中ににのみやくんがいるから大丈夫だ、と何度も思わせてくれた。いつか去る時がくるかもしれない、それは私が先かもしれないし、にのみやくんが先なのかもしれない。でもずっと心の中に残り続ける。唯一無二。そういう日常の救いをくれるのが、私にとっての神様みたいです。

 

超人でも、無敵のヒーローでも、もちろん永遠の神様でもないことはよく知っている。分かっている。それでも、彼しかいない、と思えることが私の幸福で、私の人生なのだ。

 

 

今年はドラマに映画にアルバムに24時間に、たくさん救われて、たくさんの夢を見た。

来年もきっと大丈夫、そう思わせてくれるのは、にのみやくんが光っていてくれて、心を支えてくれて、そんな生き方をしてくれているからだ。

 

私の信じる神様。歩き続ければ、何度だって会える。だから明日からもきっと、大丈夫。