ペトリコール

すきなことだけ

「好き」で始まって「好き」で終わる

ついこの前、二宮くんの誕生日の事を考えながら、自分宛にトートバッグを買った。それを見たらこの先36歳の時のにのみやくんを思い出せる気がして、なんとなく買った。美しいマーガレットの造花が入った、素敵な鞄。以前からそのブランドのものが憧れで、可愛いなあ、素敵だなあと思いながら眺めていたのだが、今回その新作が発表された瞬間、思わずこれだ!と思ったのだ。

 

マーガレットといえば、以前にのみやくんが徹子の部屋に出演した際、黒柳徹子さんがマーガレットが全体にあしらわれたお洋服を着ていたのを覚えている。徹子さんはゲストの方が着てくる服を想像して衣装を選ばれていると言う事を知ってから、マーガレットを見るたびにのみやくんの事を思い出した。マーガレットは「誠実」のシンボルの花らしい。そう知ってからよりこの花が好きになった。誠実なにのみやくんを思い出す花。素敵だ。にのみやくんにぴったり。

 

この鞄に惹かれたのはそれだけじゃない。ハッとするくらい素敵な言葉が添えられていたのだ。

「花びらを一枚一枚ちぎり、「好き」「嫌い」と恋の行方を占うお花でお馴染みのマーガレット。実はこの花占いには素敵な秘密が隠されていた。マーガレットの花びらの枚数は奇数なので「好き」で始まれば「好き」で終わるのだ。」

 

「世界がどんな風に変わっても、時代がどんな風に進んでも、私たちは飽きもせず同じものを愛して、同じことを続けていたい。」

 

この言葉を見たときに、出会ってしまったと思ったのだ。「好き」で始まって「好き」で終わる。そして、どんなに世界が動いても、愛せるものを変わらずに愛していたい。そんな想いが詰まったこの鞄は、自分自身が肯定したかった気持ちそのもので、愛おしくて眩しくて特別なものに見えた。

 

 

以前にのみやくんは変わらない、と呟いたことがある。でも実際は変わらない人なんていないし、変わらないことを示す基準なんてない。私が勝手に持っている「彼は変わらない」という感情に正当性を持たせようとしているだけなのかもしれない。変わらないことも変わることもどちらも尊いくらいに美しいことなのに、私は私の中で勝手に作り上げたアイドルを守るために「変わらない」と思いたかったのかもしれない。そう思うと自分が惨めで仕方がなかった。

 

そうなんだけど。

でも彼を見ていると変わらないなと思ってしまうのだ。変わらない。 その“変わらない”は、一定の温度でいてくれること、そして根底の部分がいつもぶれなかったことなのだと思う。飾り気のないナチュラルさ、長年一貫したアイドル論、常にステージの上で完璧でいようとする姿勢、感性がキラリと光る言葉、愛を向けることに不器用ながらも誠実で、同時に愛を向けられることにはどこか慣れないでいるところ。そんなところなのだと思う。

 

ちゃんとステージの上には変わらない、アイドル二宮和也という本物があるんだよ、進み続けてくれるんだよ、悔しいも嬉しいも共有してくれるんだよ、だからこそ私は好きだという感情を現在進行形で抱き続けていられるんだろうなあなんて思う。

ステージに立つと光が集まって輝いていく。目を細めて柔らかく笑う。その周りを光が飛び散る。美しくてもはや愛としか形容できない。愛だよ。そして世界は素晴らしいことばかりじゃないけど、それでもなんだか大丈夫だよねって思ってしまうくらいのあたたかさがある。そんな特別で唯一無二でそして変わらない姿が、涙が出るほど綺麗で、胸を締め付ける。変わらない。変わらないもの。ステージの上でいつだって光るもの。

過去を振り返ってはあの時は楽しかったな、よかったな、と思ってしまうのは人間だから仕方がないことだけど、それでもその時に戻りたいと思わないのは、彼が一定の温度でいてくれること、軸がぶれないでいつも誠実でいてくれるところ、そんな“変わらない”ものがあったからなのではないだろうか。36歳最後を見納めた、6/16のHappy Liveを観てそんなことを思った。

 

やっぱり私はそんな彼が一等好きで、泣きたくなる。泣きたくなるほど好きなのだ。

どんなに駄目な日があっても、苦しい日があっても、にのみやくんは変わらずそこにいてくれる。私がどれだけ失敗したとしても、世界が変わったとしても、変わらない温度でそこにいてくれる。そのことに何度救われてきたのだろう。

嬉しいとか尊敬とか悔しいとかそういう何重にも積み重ねてきた感情の重さがあって、勝手に自分の気持ちを乗せて受け取ったりアイドルを消費していることに対して罪悪感を覚えたり、そういう一筋縄ではいかない感情が沢山あるけど。結局全部大切で、全部の感情でにのみやくんが好きだという気持ちを構成しているのだと思う。

 

この一年は途轍もないスピードで進んで行ってしまって、思うようにいかないことが沢山あって、世界は目まぐるしく変わってしまったけれど、そんな中で見つめていた36歳のにのみやくんは、やっぱり変わらないにのみやくんそのもので、もうこの記憶のまま終わらせたいななんて思ってしまうくらいに特別で、誰にも代えられない最高のアイドルだった。

 

 

ついこの間鞄が届いて開いて見たら、もう胸がいっぱいになる程可愛くて泣けた。そして私は私で募るような祈るような手に負えないほど大きくなってしまったこの好きの気持ちを大事にしようとできたんだってことを痛感して泣けた。36歳のにのみやくんが好きだった私がそこにいる気がして、この一年のことが走馬灯のように駆け巡って泣けた。どれだけ世界が変わっても、にのみやくんは変わらないでそこにいてくれることが、それに対して変わらない好きの気持ちを大事にできたことが、ひどく嬉しくて泣けた。「好き」で始まって「好き」で終わる、そんな想いが詰まったものを見て、なんの根拠もないけれど、この気持ちは大丈夫だと思った。

人間だから寂しいとか苦しいとかそんな想いはゼロではなくて、意図してなくてもどこかで浮かんできてしまうし、好きだって有限のものなのはわかっているんだけど、それでも大丈夫だと思ったのだ。

私は常々好きは自分でしか守れないと思っている。その人大切にしているものがどれほど大切かなんて想像はできても全てを知ることができない。誰かに守ってもらうものでも理解してもらうものでもなくて、自分の中にあればいいもの。その人にしか守れないものが好きの気持ちなのだ。そっと心の中に抱いているもの。だから、私は思う存分守っていきたい。36歳のにのみやくんの特別な輝きを。にのみやくんが好きだった気持ちを。ずっとずっと変わることのない、この気持ちを。

 

 

 

早くていつになるだろう。マーガレットの鞄を持って東京に行く。背伸びをして、高層ビルを見上げて、大きく息を吸う。その度に36歳のにのみやくんが大好きで仕方がなかった私を思い出そう。変わることのないその事実を抱きしめよう。この鞄を見て、また少し前を向けますように。未来のことを考えるのはいつだって怖いけれど、"36歳のにのみやくんが好きだった私"がちゃんとここにいたと思えるから大丈夫。

 

 

マーガレットは「真実の愛」「誠実」。だとしたら、私は、私だけが大事にできる「真実の愛」を彼に向けられますように。彼の持つ「誠実」にまっすぐに向き合えますように。「好き」で始まった36歳のにのみやくんを、「好き」で終えて、そしてまた「好き」で始める。この気持ちを、続けていけますように。私自身で守り続けていけますように。

 

「楽しく、楽しく、みんなと一緒に向き合いながら、2020年12月31日のキワのキワまで一緒にいたいと思います。」(5×20 8.31 大阪)

 

さて、37歳のにのみやくんは一瞬一瞬、どんな表情をして、どんな言葉を残して、どんな姿を見せるのだろう。既に楽しみで仕方がない私は、心底幸せ者だと思う。恋とか愛とか憧れとかもはや一筋縄ではいかないごちゃごちゃとした感情で彼を見ているけれど、もうその感情全てを持って、とにかくにのみやくんの味方で居たくて、にのみやくんが思う二宮和也でいてほしくて、ただそれだけで。そんなこんなで、今日も泣きそうになっている。人生にたらればはないからこそ、一先ず、あと数ヶ月。一緒に楽しい思い出が作れますように。一緒にいられますように。そしてまた来年もお祝いできますように。

にのみやくん、おめでとう。そして、いつもありがとう。

 

今日からまた、「好き」を始めて。

 

 

2020/06/17